日常の最近のブログ記事

次男の嫁のお父様がお亡くなりになりました。

平均寿命は超えていると思いますが・・・肺炎だったそうです。

義理妹は兄を亡くし、母を亡くし、そして、父が・・・俺を含めた義理の家族しかいなくなってしまった。

精神的にも大きなダメージを受けていると思うので心配です。

支えてあげようと思います。

天国で大好きだった亡き奥様と息子様と幸せに過ごせることを願っています。

14年

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父が亡くなってから14年が経ちました。もう14年かぁ・・・。

もちろん忘れることはないし、両弟家族が来た際などもたまに父の話が出ます。家族にとってそれだけ父の存在は大きかったのだろう。

亡くなったことはどうしようもないが、欲を言えば、男性の平均寿命くらいまでは生きていてほしかったです。

天国から、ペペななココと一緒に家族を見守っていてください。

母方のばあちゃんの三回忌です。百越え、病気知らずの大往生でも寂しさは変わりません。

三回忌の法要は26日に行われたのですが「行かない」と母が言ったので出席しませんでした。母も年なので遠出はしんどかったのかもなぁ・・・。

いつもお世話になっている八百屋・果物屋さんにお願いして、おいしいメロンを入荷してもらい、それをお供えとして送りました。

今年も仕事帰りに、ばあちゃんの大好きだったシュークリームを買い、家にあるばあちゃんの写真の前にお供えしました。

ばあちゃん、天国からみんなを見守ってくださいね!

昨年1月に父方の本家の亡くなりました。

喪中につき、新年のご挨拶を控えさせていただきます。

皆様にとって、良き1年になりますように!

13年

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父が亡くなり13年が経ちました。もちろん忘れたことは1日もありませんが・・・。

13年も経つと、その間に多くの人の死も経験したし、ペペななココの死も経験したし、ツラいことはたくさんあります。それだけ自分も年をとったということなのかもしれない。

昨年亡くなった祖母が祖父、娘、孫娘の死を経験したときの俺とのやり取り・・・祖父が長生きなんてするもんじゃないっと言ったので、俺は長く生きていればつらいことも多くなるが幸せなことも多くなるっと言ったのを思い出します。

父が生きていれば、いろんなことが違ったかもしれないが、父を早くに亡くしたことによって得た経験も今の俺を形成している1つの要素なのだろうなぁ・・・。

父よ、天国で祖父母たちとペペななココと一緒に家族を見守っていてや!

ばあちゃんの一周忌です。本当にすごい大往生だったので仕方がありませんがもう少し生きていてくれたらなぁっとつくづく思います。

仕事の帰りに、ばあちゃんが大好きだったシュークリームを買って帰ってお供えしました。

一周忌法要は少し前に終わったのですが命日は命日です。

天国から見守ってくれていることだろう。

昨年5月に祖母が亡くなったので喪中です。新年のご挨拶を控えさせていただきます。

昨年はロシアによるウクライナ侵攻、エリザベス女王の崩御、安倍元首相の暗殺、多くの超一流著名人の死去、コロナもなぁ・・・個人的には良い年ではなかったなぁという印象でした。大往生とはいえ、祖母も亡くなったし・・・。

今年こそは良い年でありますようにっと心から願っています。

父の十三回忌です。平日なので、末弟家族は全員仕事、真ん中の弟家族は義理妹の母も初盆もあり、母と俺と仕事がお盆休みだった真ん中の弟の3人のみ出席することになりました。本当は全員揃う日ならよかったのかもしれないが、コロナ禍だし、お盆月はお寺さんが忙しいので、母と相談して父の命日の8月12日にしました。

早いもので、もう12年・・・もちろん1日たりとも忘れたことはありませんが、姪っ子が釣りをしたいっと言っているのを聞くと、父が生きていれば、姪っ子とその子供を喜んで釣りに連れて行くんだろうなぁなど、父が生きていればどうだっただろうっと考えることも増えたように感じます。悲しさや寂しさが想い出に変わってきているのだろう。

天国でペペとななとココと一緒に家族を見守ってくれているんだろうなぁ・・・これからも家族のことをお願いしますね!

退職

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母が勤めていた老人介護施設を退職しました。ここでは書きませんが高齢の母・・・よくここまで働いたと思います。

退職の意思を示してから、施設のトップをはじめ多くの方が引きとめてくださったそうです。どうするだろうと思っていましたが、一度口にしたことを覆すのは嫌だったそうです。

お世話になったので、最終日にお礼の菓子折りを各部署に持って行くということで、荷物が多く大変なこともあり、仕事が休みだったので車で送りました。帰りも迎えに行きましたが、花束など多くのプレゼントをいただいたようでした。施設の方々が俺にも会いたいということで、いろんな人に「長い間、母がお世話になりました」っとご挨拶をしました。

母はとても社交的な人間なので、年齢性別地位に関係なく多くの人に愛されていたんだなぁっとつくづく感じました。挨拶時に俺が話をさせていただいた方々からも感じました。

いろんな理由があり、退職することになった母ですが幸せだったと思います。母のことを大切に考えてくださっていた施設の方々、入所者さんに感謝致します。

本当に長い間、お疲れ様でした。

唯一がんばってくれていた祖父母である母方の祖母が夕方に亡くなりました。満101歳の大往生でした。

2日ほど前から食が細くなり前日には何も口にしなくなった。病院ではなく母の妹の家で亡くなりました。入院したこともないし、本当に見事な大往生でした。それでも、寂しいことには変わりなく、自分自身に大往生だからっと言い聞かせている状況です。

コロナが落ち着いたらみんなで会いに行くから、それまで健康で長生きしてや!っと言い続けていました。コロナ禍じゃなかったら何度も会いに行っていたのに・・・それだけが悔やまれます。

耳が遠くなっただけで、まったくボケてもなく、ひ孫の名前まですべて出てくるようは感じだったので本当にすごいと思っていました。

長い人生の中には戦中戦後という大変な時期もあったばあちゃんですが、やさしく人に迷惑をかけることもなく、本当に立派な人でした。自慢の祖母です。

通夜葬儀には玄孫も出席し、多くの人に囲まれながら、あの世に旅立つばあちゃん・・・安らかに眠ってください・・・あの世からみんなを見守ってください。本当に今までありがとう!

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