平成11年の山口県光市母子殺害事件・・・殺人や強姦致死などの罪に問われた元少年の差し戻し上告審判決で元少年側の上告が棄却されました。差し戻し控訴審判決(死刑)が確定しました。当時、18歳と1ヶ月だった犯人・・・永山基準以降2人殺害で少年が死刑になるのは初めてのことで、犯行時の18歳と1ヶ月という年齢は最も年齢が低い死刑確定です。
俺はこの事件について、過去の消えたブログでも多々取り上げました。個人的な考えでは死刑が妥当であるっとの主張もしていました。だから、死刑という判決は当然だと思っている。身勝手な犯行、残虐性、獄中から友人に宛てた手紙の内容など死刑を回避する理由はないと思っていました。
ただし、唯一犯人が不幸だったと思うことは、死刑廃止論者の弁護団による裁判手法です。ドラえもん発言や傷害致死の主張・・・明らかにこの手法が心証を悪くしたと思うし、結果的に犯人が反省する機会を奪った。死刑判決の後押しをしたのは弁護団だと思う。弁護団が自分達の考えを主張するために、この事件を利用した結果、元少年は死刑になり(俺は当然だと思っているが回避された可能性もある)弁護団は何の制裁も受けないまま・・・。少し違和感が残る。明らかに弁護団の執った手法が被害者家族の本村さんの心をさらに傷つけた・・・これで何の罰も受けないとは納得が行かない気持ちだ!
また、本村さんが会見で、遺族として満足している。ただし、うれしいという気持ちなどはないっとの主旨を・・・犯人が死刑になっても、遺族にとっては喜びではなく、最低限の納得に過ぎないのと同時に虚しさもあるのだろう。とても重い言葉だと思う。
裁判では容疑者の人権はとても尊重されている。反面、被害者や被害者家族の人権は軽視されているように思う。人権っという言葉を多用し、容疑者の人権を主張する弁護士達の多くも、被害者側の人権を尊重しようという動きはほとんどない。そんな状況と戦い続け、被害者側の立場を少しでも良くした本村さんの行動は日本の裁判やマスコミにも大きな一石を投じたと思う。本当に大変な13年間だっただろう。
死刑という判決で幕を閉じる今回の事件・・・犯人の死刑が執行されても遺族の心は完全に戻ることはないだろう。だから、死刑は意味がないっと主張する死刑廃止論者もいるがこれは間違いだと思う。殺された人は生き返らないし、遺族の心も喜びではなく最低限度の満足を得るに過ぎない死刑であっても遺族にとっては必要だ。死刑制度を云々言うのではなく、死刑を求刑されるような事件を起こさないように努めることの方が大切だ。難しいだろうが・・・。
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