本土復帰40年

| コメント(0) | トラックバック(0)

15日は沖縄が本土復帰から40年でした。記念式典には野田総理も出席し、式辞も行われました。

沖縄には基地問題があり、多く?一部?の沖縄県民にとっては、いまだに支配下にあるような印象を持っておられる方もいるようです。

沖縄は唯一陸上戦が行われた地です。だから、犠牲になった人も多く、本土を救うために犠牲になったと思っている人も多い。確かに当時の軍部や政府がしっかりしていれば、沖縄で陸上戦が行われる前に終戦を迎えていただろう。

戦時中の苦しみに加えて基地・・・沖縄の苦しみは残ったままだ。そのことは理解できる。実際、二十歳のときに沖縄へ10日間ツアーではない旅行に行ったとき、年配の方に沖縄県民の気持ちを聞いた。復帰後、道路整備などが行われ、徐々に恨みのような気持ちは薄れて行ったようだったが、それでも本土との確執があることなども聞いた。当時、俺は何も言えなかったなぁ。

しかし、個人的には地理的条件が悪い部分もあると思っています。戦争のときは、東南アジアの島々に日本が進出していた。徐々に連合軍に押し戻された結果、日本の国土で最初に上陸されたのは沖縄・・・これがロシアとの戦争だったら、北海道や他の地域だったように思う。今は中国の問題があるし・・・。

また、上陸とは違うが本土においても、東京や大阪のように焼け野原になった地域、原爆による広島長崎・・・地域による違いはあるが日本中が戦争によって苦しんだと思う。もちろん、沖縄の苦しみは違うだろうが・・・。

沖縄の基地問題、憲法問題、戦後教育、弱腰外交などなど・・・戦争の総括や責任の所在を他国に委ねた日本・・・戦争を知らない世代の平和ボケも含め、日本全体が真の意味で戦争から立ち直っていないように思える。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://nori-lab.kicks-ass.net/cgi-bin/mt-tb.cgi/380

コメントする

月別 アーカイブ

ウェブページ

Powered by Movable Type 6.2

このブログ記事について

このページは、mickeyが2012年5月16日 00:34に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「おおい町議会が容認」です。

次のブログ記事は「入れ墨」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。